
ゼニゴケといえば、庭や花壇にいつの間にか広がってしまう駆除が面倒な植物として知られています。
梅雨時期に日陰のじめじめした場所を占領し、見た目も景観を損ねるとして多くのガーデニング愛好家を悩ませてきました。
ところが近年、この「嫌われ者」とも呼ばれるゼニゴケが、実は非常に高いポテンシャルを秘めた植物として、科学者たちの間で熱い注目を集めています。
スーパーフード候補としての食用利用
神戸大学では、ゼニゴケを食用や薬・サプリメントの原料として活用する研究が進んでいます。
庭の厄介者がまさか食べられる植物として研究対象になるとは、にわかには信じがたい話ですが、これはれっきとした最前線の科学研究です。
屋外で自生しているゼニゴケは、虫や病原菌に対する抵抗力を持たせるために人体にとって有害な物質を蓄積していることが多く、そのままでは食べることができません。
しかし、虫や病原菌といったストレスのない清潔な環境下で育てることによって、有害物質を含まない安全なゼニゴケをつくることができるといいます。
気になるのはその栄養価ですが、これが驚くほど豊富なのです。
研究によれば、ゼニゴケにはほうれん草の約25倍もの鉄分と青魚に含まれるEPAが含まれているとされており、未来のスーパーフードとして注目されています。
また食感についても食用として育てたゼニゴケはレタスに近いシャキシャキとした食感になるといわれており、乾燥させると海苔に非常に似た味になるといいます。
さらに研究チームが注目しているのが、ゼニゴケをそのまま食べる「食べるサプリメント」という発想です。
ゼニゴケにポリフェノールを作らせ、それを抽出せずにコケのまま食べるという方法も考えられており、抽出にかかるコストを省くこともできます。
また、ゼニゴケは乾燥しやすいという特性を活かしてパウダー状にすれば、用途がさらに広がると期待されています。
希少ポリフェノールの生産プラントとしての可能性
研究グループが現在特に力を入れているのが、ゼニゴケからポリフェノールを作る取り組みです。
抗酸化作用による疾病予防などで注目されているポリフェノールは何千という種類がありますが、薬やサプリメントに使われているものの多くは中国やアフリカなどの地域から輸入されており、海外の政情などに影響されて価格が高騰したり、枯渇したりする可能性があります。
そこで重要な役割を果たすのが、ゼニゴケの遺伝子操作のしやすさです。
遺伝子操作が容易という特徴を利用して、ゼニゴケが希少価値のポリフェノールを作るように細胞を組み替えるという研究が進められています。
ゼニゴケにはもともとある種のポリフェノールを作る代謝系があり、その仕組みを応用して価値の高いポリフェノールを作らせるように改変するのです。
注目されている成分のひとつとして、ブドウの皮やかんきつ類に微量しか含まれない、花粉症や認知症予防などへの効果が期待されるポリフェノール成分をゼニゴケから抽出することを目指しています。
ゼニゴケは速く大量に栽培できるため、この方法を使えば輸入に依存せず、必要な分だけ国内生産することができます。
科学研究を支えるモデル植物としての地位
庭でのイメージとはまったく異なる顔を持つゼニゴケですが、植物科学の世界ではすでにその重要性が広く認められています。
ゼニゴケは今、さまざまな実験に使うモデル植物として世界的に注目されています。
成長が非常に速いので実験の結果が出るまでの期間を短縮できる利点があり、外から別の遺伝子を挿入したり遺伝子を改変したりする実験がやりやすいという特徴があります。
京都大学の研究グループを中心とした国際的な取り組みによって、ゼニゴケは分子遺伝学やゲノム生物学の時代に日本発のモデル生物として再び注目を集めており、現在その研究はまさに日本からのルネサンスとも呼べる状況にあります。
2017年にはゼニゴケのすべてのゲノムが解読され、モデル植物としての地位が確立してきた経緯があります。
このゲノム解読は世界中の研究者の協力によって実現したもので、ゼニゴケは今や国際的な研究コミュニティが共有するプラットフォームとなっています。
カーボンニュートラルと宇宙食への応用
ゼニゴケの活用が期待される分野は医薬品や食料にとどまりません。
ゼニゴケは成長する際に大量の二酸化炭素を吸収することが分かっており、有用な物質を作らせながらカーボンニュートラルにも役立つということは、産業利用の大きなメリットとなります。
地球温暖化対策が急務となる現代において、この特性は非常に注目に値します。
さらに宇宙開発の観点からもゼニゴケには独自の強みがあります。
ゼニゴケを育てるには土は不要で、霧状の水分を適度に与えるだけで育ちます。砂漠地帯でも植物工場を建設して育てることができ、将来、人類が火星などへ長期間の宇宙飛行をする場合に宇宙ステーションなどでの生産も考えられています。
成長が非常に速いため、狭い面積でも大量に生産できることがメリットです。
すでにJAXAと共同研究も行われており、宇宙食としての実現に向けた取り組みが具体的に動き始めています。
実用化へ向けた取り組み
こうした研究は単なる基礎研究の域を超え、すでに社会実装を見据えた段階に入っています。
ゼニゴケを大量に栽培する方法については基本的な特許が取得されており、今後数年以内に大量栽培システムの社会実装を実現したいという計画が進んでいます。
すでに食品メーカーや植物由来の希少な化合物を製造している食品原料メーカーとも共同研究が始まっています。
庭の片隅に生えるゼニゴケを見て、嫌悪感を覚える人は多いことでしょう。
しかし科学者の目には、それが未来の食料難を救う作物であり、難病治療の鍵を握る物質を生み出すバイオファクトリーであり、そして人類が宇宙へ旅立つ際の重要な食料源として映っています。
私たちが毎年せっせと駆除しているあの緑の塊が、実は人類の未来を支えるかもしれない植物であるという事実は、自然界の奥深さをあらためて教えてくれます。