
ある日気づいたら、庭の隅や鉢植えの土の上にびっしりとゼニゴケが広がっていた。
そんな経験をお持ちの方は少なくないと思います。
一度も植えた覚えがないのにいつの間にかそこにあるし、取り除いてもまた生えてくる。
この厄介な繁殖力の正体は、ゼニゴケが持つ二段構えの増殖システムにあります。
ゼニゴケが勝手に生えてくる理由
ゼニゴケが知らない間に増える最大の理由のひとつが、胞子による繁殖です。
ゼニゴケは精子と卵細胞が受精すると胞子体へと育ち、その先端にある胞子のうの中に胞子が詰まります。
成熟した胞子が胞子のうから散布されることで、次世代へと命をつないでいきます。
胞子はタンポポの綿毛のように風に乗って飛散し、瞬く間に生育場所を広げていきます。
胞子がいつ、どのように作られるかについては、研究によってある程度明らかになっています。
受精は3月と9月頃に開始される可能性が高く、胞子は年2回、4〜5月頃と10〜11月頃に散布されます。
ちょうど梅雨の前後と秋雨の時期に重なるため、雨の多い季節を迎えるたびに増殖が進みやすい環境が整ってしまうのです。
有性生殖のしくみ
ゼニゴケには精子を作る雄の植物(雄株)と、卵をつくる雌の植物(雌株)があります。
精子は造精器とよばれる袋状の構造の中にたくさん入っており、卵は造卵器というつぼ状の構造の中に一つずつ入っています。
雨が降って雄株が濡れると造精器から精子が出てきます。
精子はべん毛とよばれる長い2本の毛のような構造を動かして泳ぎ始めます。
水の膜を伝って移動し、雌株の卵にたどり着くことで受精が成立します。
このようにゼニゴケの有性生殖は水を欠かすことができず、雨の日こそが繁殖の引き金になっています。
ただし、有性生殖には雄株と雌株の両方が揃っている必要があります。
ところが実際の庭や街中では、雄株と雌株が均等に存在しているとは限りません。
都会になるほど雄株は少なくなり、無性芽による繁殖に頼るようになります。
市街地近くの住宅で観察できるゼニゴケは、雌ばかりである可能性が高いのです。
つまり、雄株がいなくても増え続けられる仕組みをゼニゴケは別途持っているということになります。
無性芽と呼ばれる増殖手段
そこで登場するのが「無性芽(むせいが)」という仕組みです。
ゼニゴケの無性芽は、葉状体の表面に杯状体と呼ばれるカップ状の構造ができ、その中に作られます。
無性芽は杯状体の底にある表面の1細胞が伸長し、さらに細胞分裂をして形成されてきます。
無性芽は親の体の一部から生まれたものですから、無性芽がもつ遺伝子は、もとの植物と遺伝的にまったく同じものです。
いわゆるクローンとして増殖するわけです。
この杯状体はゼニゴケの葉状体の上面に点々と見られる、小さなカップのような器官です。
カップの中にはたくさんの無性芽が作られており、水がカップから溢れると散らばってクローンとして繁殖します。
雨粒がカップに落ちるたびに無性芽がはじき飛ばされ、周囲の土や岩の表面に着地して新たな個体として育ち始めるのです。
この「雨粒が引き金になる」という仕組みは、実に巧妙な散布戦略といえます。
無性芽は単一の細胞を起源としており、クローンとして増殖することができます。
これがゼニゴケが庭にあっという間にはびこる効率的な手段です。
無性芽の遺伝的背景
なぜゼニゴケはこれほど効率よく無性芽を作り出せるのでしょうか。
神戸大学の研究グループはその分子機構を調べ、GCAM1という遺伝子が関わっていることを突き止めました。
ゼニゴケの無性芽は体の表面にできる杯状体という器官の中で作られますが、GCAM1遺伝子は杯状体の中で幹細胞としての性質を維持し、杯状体と無性芽の形成を制御していると考えられています。
さらに、この遺伝子は被子植物の腋芽(わきめ)形成を制御する遺伝子と共通の祖先を持つことも明らかになっており、植物が新たな芽を増やす仕組みが太古から引き継がれた共通の基盤の上に成り立っていることがわかってきました。
胞子と無性芽それぞれの役割の違い
胞子と無性芽はどちらもゼニゴケを増やすための手段ですが、その性格はかなり異なります。
胞子と無性芽の発芽率はともに高いものの葉状体までの成長に要する期間は無性芽の方が比較的短いです。
無性芽はすでに成長のスイッチが入った状態に近い形で放出されますから、着地してからの立ち上がりが早く、より素早く新たな群落を形成できます。
一方、胞子は風に乗って遠くまで飛べるという点で、生息域を広げるうえで有利です。
ゼニゴケの胞子は、発芽において光合成により合成された糖に依存して非対称な細胞分裂を行い、やがて幹細胞が形成されて葉状体へと育っていきます。
こうして遠く離れた場所にも着床し、新たなコロニーの起点となるのです。
つまりゼニゴケは、胞子によって遠くへ広がりながら、無性芽によって手近な場所を素早く埋め尽くすという二つの異なる戦略を使い分けているわけです。
雌株だけでも増え続けられ、雨粒一粒で次の個体が飛び立ち、しかも成長が早い。
「いつの間にか増えている」のは、これほどまでに精巧な繁殖システムが静かに動き続けているからにほかなりません。